8月18日(火) 晴れ 景洪 景咏飯店・双人房
朝7時起き。8時前に宿を出て、飛行機の切符を買いに行く。本当に買えるのか心配だったけど、すぐに無事買えた。乗り物の切符を買えると、ホントにホッとする。 そこで、意気揚々と長途バスターミナルに向かい、今日の目的地、モン養行きのバスを探す。今度は切符売り場に窓口があったからそこで行き先を言うと、なぜか売ってくれなかった。代わりに、ちょうどそこにやってきたおっちゃんについて行け、と言われた。ついて行くと、ちゃんとモン養行きのバスに乗せてくれて、運賃は車内で払った。 1時間ほど山道を走って到着。今回は公営のバスだったからか、何事もなかった。下車すると、あ……暑い……。今日もホントにいい天気だ。 まず、「象の樹」に向かう。公園に入って奥に行くと、ああ、あったあった。確かに象に見える。この樹はガジュマルで、その根っこの方が象さんみたいな形になってるのだ。目に当たる位置には、偶然にも節穴が開いてるのがすごい。でも、その穴に銀紙を丸めて入れてあるのは、やめてほしい……。 ||||(; ̄∇ ̄)||||| それに、これは仕方ないけど、鼻に当たる部分は板で補強してあって、それがちょっと残念だった。公園内には、これ以外にもガジュマルがたくさん生えていて、その根っこはどれも巨大で、面白かった。でも、入場料3元は、ちょっと高い気がする。狭い公園だし、この樹があるだけなのに。

少し休憩してから、花腰タイ族の村「曼景法」へ向かう。まっすぐだと思ってた道が、T字路になって横道にぶつかってしまって、どっちへ行ったらいいのか、キョロキョロと暫く悩む。やがて理恵ちゃんが、目の前の広〜い田んぼの中にあぜ道を発見。この道に違いないと思って、そのあぜ道を歩く。暑いけど、一面の田んぼの中を歩くのは、とても気持ちがいい。やがて道は村に入っていった。 別に観光地じゃないから、遠慮しもって歩く。高床式住居と庭を囲む竹を組んだ柵。庭に置かれている機で布を織っている人をときどき見かけるけど、歩いている人はいない。暑いからかな? それに、期待していた民族衣装を着ている人は、一人のおばあさんだけだった。 この村を抜けて、アスファルトの道を西へ向かう。途中、民族衣装を着たおばさんが桶を吊った天秤棒を担いで歩いてるのを見かけたり、道端の木に登って木の実を採っている子供たちを見かけたりする。みんな、不思議そうな顔をして、あたしらを見るだけだ。ちょっと寂しい。観光客慣れしすぎてて、たかってくるのもイヤだけど。 この暑さの中ではとても耳に心地いい川のせせらぎの音を聞き、ひらひらと飛んでいるキレイな蝶を見ながら、やがて旱タイ族の村「曼濃干」に着く。やっぱり入りにくいけど、意を決して入る。ここでも民族衣装を着た人は一人しか見なれなかった。残念だな……。
花腰タイ族の村 旱タイ族の村
町に戻る。ちょっと道を逸れて林の中に足を踏み入れてみると、この木々はゴムの木らしく、幹に切れ込みを付けて、そこから流れ出る白い液体を、幹に取り付けた小さな器で受けてあった。 景洪に戻ってから、メコン川の写真を撮りに行くことにする。バスの窓からは何回か見ていたけど、実際に橋の上に立ってみるとすごかった。赤土たっぷりの水で決してキレイじゃないんだけど、なんか流れが堂々としてて。この川がやがて中国を出て、ラオスとミャンマーとの国境を流れ、タイ、ベトナム、カンボジアを流れて南シナ海まで流れていくんだなー、と思うと、なんかロマンを感じた。
今日は久々にゆっくりしようと思って、早いけど宿に戻る。歩いてたら、イキナリ真後ろで「ドシンッ!」ってすごい音がした。何事かと驚いて振り向くと、街路樹のヤシの木の葉(枝?)が一本落ちていた。ホントにすぐ真後ろ。もう少しあたしらが歩くの遅かったら、直撃されてたと思う。あの音のすごさからすると、きっと大怪我してたにちがいない。あーー、よかったーーーー。 お風呂上り、のんびりしていたら、お客さんが来た。昆明から乗った寝台バスでお世話になった、あの乗務員のおにいさんたちだ。あいにく理恵ちゃんは入浴中だったから、二人と筆談する。かなりたくさん喋った頃、理恵ちゃんが戻ってきた。そして、もう遅いからと、おにいさんたちは帰っていった。その後、ふと気付くと忘れ物があった。何か文章が書いてある紙が一枚。読んでみると、それはあたしら宛の手紙だった。内容は今喋ったこととほぼ同じだったから、、きっとあたしらが留守だったときのためだったんだろう。ところで、この手紙の宛名が嬉しかった。「勇敢・純朴的日本小姐」だって。そして、最後に、「願中日友誼世代永存。歴史不再重演」。歴史を繰り返すことなく、ずっと中国と日本、仲良くしていきたいね……そのとおりだ。 ところで、あたし、すごく焼けた^^; この二日間、炎天下でウロウロしたからなぁ。特に肩は真っ黒だ。ちょっと痛い……。
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